村の友からの誘い
栃木と福島の県境の村に移住した友人が広い敷地の一部を自由に使わせてくれます。その代価は草刈と庭の手入れ。そこに街では植えることの出来ない大きな木や花を気の向くままに植えています。

街ではウサギ小屋の住人です。友のお陰で村に行けば、居候ながら庭を得ることができます。村の生活の面倒を持たない気軽な身です。しがらみの無い街の人間の目と生き方で村の生活が楽しめます。街に帰っての生活は村の日々との一つながりの生活となります。ウサギ小屋の中に村の花が咲き持ち帰った山の幸が生活の一体感を高めるのです。今日も街から村の草花を思っています。村と街の二つを行きつ戻りつ、違和感無く二つの生活を一つにまとめることが出来るようになっています。

でたまたま深川七福神を巡る機会がありました。その時、川で囲まれた深川の街のあちらこちらに芭蕉ゆかりの跡を見る事になりました。そういえば、芭蕉が奥の細道の旅の折に、村をかすめるようにして通っている事に思いが至ったのです。街での深川七福神巡りがきっかけとなり『奥の細道』を介して村の生活との一体感が更に高まる機会を得られたのです。

私が『奥の細道』を頼りに芭蕉の跡をたずねる旅の目的は、歩いた場所を出来る限り忠実にたどりながら芭蕉との心の交流を試みたいと言う事にあります。私の選んだ参考書の説く「歌枕の地での古人たちとの心の交流」が芭蕉の旅の大きな目的であることに触発された思いです。足跡の地に立って、沸いてくる興味に動かされて波及的に知ろうとはしても、俳句の故事来歴、古歌の知識には興味がわきません。

自らの足でその跡に立ち、それが木や建物なら芭蕉が見上げ、そして芭蕉を見下ろしたであろうその下で奥の細道の一説を思い出してみるのです。神社・仏閣ならば更に幸運です。訪れる人も少ない静かな精神世界で頭を垂れて祈り、時空を越えて芭蕉と心を通わせる事が出来るのです。無心に頭を垂れる行為は、心さわやかな一時を持つ幸運でもあります。奥の細道一冊を持ってこのような旅をしてみたいと思っています。

もちろん、芭蕉との交流を持った子孫の人々の現在の生活と接する楽しみも忘れてはおりません。其の地の人々に道をたづねその親切に接する幸せ、其の地の人々の食する食べ物を味わう幸せ、まさに芭蕉の奥の細道は今でも生き続けている物語だと思っているのです。故事来歴にからめとられて過去の中でこの本を読むことを好みません、現在の物語として普通に読みたい、そう思っているのです。

奥の細道への旅の始まり・・・・それは深川七福神から始まりました

奥の細道への旅の始まりは、街での幾つかの僥倖がきっかけになります。ふらっと街で映画を見た帰りに谷中七福神に立ち寄って見たことから始まります。

時代小説の楽しさに浸っている事もあって、居眠り磐音に出てくる谷中七福神を尋ねて見たのです。小説に出てくるこの寺の町で、多くの路地と懐かしい風景を目にしてすっかり魅入られてしまいました。少なくても昭和が色濃く残っています。

七福神のつながりで、次に訪れたのが藤沢周平の多くの物語の場所となっている川の町深川です。深川七福神は富岡八幡から始まり北へと向かいます。小名木川に近づくほどに私は興奮が抑えきれなくなりました。最も好む時代小説の地を歩いている事で、物語が、登場人物が立体的な姿として眼前に現れてきたからです。それは懐かしささえ感じてしまいます。

幾多の藤沢作品に登場する小名木川が隅田川と合流する場所に掛かる万年橋。幾つもの物語が頭に浮かんできて止まらなくなります。眼前には都会の大河・大川が、江戸時代もかくやと思える行きかう船の姿が更に感動を高めてくれます。

万年橋を渡って直ぐに私の目を引いたのが芭蕉稲荷、大川端の芭蕉像、句碑の数々。あちらこちら芭蕉の足跡が溢れているのです。今まで俳句に全く興味を抱いた事も無かった私には、300年以上たった芭蕉の事をこれほど守っている深川に大いに興味を抱きました。

この濃密に残る芭蕉の足跡、それが芭蕉の奥の細道への入口になります。このホーム・ページの始まりは深川七福神なのです。

 

一冊の「奥の細道」だけを頼りに、その足跡を辿り芭蕉との心の交流を行なって見たいと思っています。当然俳諧や芭蕉の文学の奥にある古歌の深い知識も必要なのでしょうが、変哲も無い普通の生活する者として、この奥の細道と言う紀行文学を楽しんで見たいと思っているのです。それは、読むために特別の知識を必要としない藤沢周平の小説を楽しむようにです。

村と街との二つの生活を送りながら、奥の細道を読み返せば暮らす村々を掠めるようにして芭蕉と曽良が旅を続けていたことに思いが至ります。その中には今までは何の気なしに訪れていた場所が沢山あります。

芭蕉の奥の細道を読んでからは、何気なく訪れた何の変哲も無い村の景色が生き生きと見えてくるのです。本を読み景色を眺め、そして芭蕉と曽良が歩いたかもしれない道を辿ります。私には拙いながら、そこで芭蕉との心の交流を行なった満足感が溢れてきました。

私にとっては芭蕉の奥の細道が特別のものではありません。単なる旅物語として、そこに書かれた芭蕉の文章を楽しんで読んでいます。特別に遠くまで訪れようとも今は思っていません。私の生活する範囲の中で何度でも心のままに、本を一冊持って訪れて見たいと思っているのです。

この奥の細道を旅する人は(江戸時代もそうであったように)少なくないことに気付きました。それぞれの持てる知識と体力で芭蕉の跡を辿る多くの遍路のような人々が居ることは私を大変勇気付けてくれるのです。拙い芭蕉についての知識しか持たない私だからです。

参考書を読む必要にせまられる事もあるのですが、多くが故事来歴・古歌の解説の類に満ちています。出来る限り芭蕉の生の心である『奥の細道』の文言だけを見ながら、『曽良の旅日記』の助けを借りて物語を楽しんでします。多くの過ちを起こしているかもしれないと常に危惧してもいます。そして、理解の足らないところは物語の場所に立って芭蕉と心を交流させることで補おうと思っています。

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愛用のカメラです。これで殆どの写真を三脚なしで撮影しています。ピントのぼけた写真が多いのは技量の未熟と機材の不足によります。これからの撮影には極力三脚を使用するようにしたいと思います。
9/16/2008