深川は、芭蕉が俗を捨てて孤独な精神世界の中に沈み込んでいった場所、いわば奥の細道のゆりかごの地でもあります。深川七福神の寺社が街の筋交いとなって、多くの川に抱かれた景色や生活や付き合いと絡み合って独特の風情を作り出しています。そして芭蕉が生活した地域とほぼそれは重なります。
元禄二年(1689年) 芭蕉・曽良深川出立
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旧暦
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新暦
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場所
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3月27日
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5月16日
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深川・海辺橋にあったら弟子・杉風(さんぷう)の採茶庵から出立する。 |
1680年・延宝八年から1694年・元禄七年までの15年間にわたって三次にわたる芭蕉庵が大川端の近辺で営まれていたのです。深川七福神を辿りながら深川の街を辿ることは、奥の細道の誕生の場所を巡る事になります。芭蕉の心象風景を含めて、奥の細道に込められた言葉の意味を理解する大きな手助けになると思っているのです。尚、出立の日時については曽良旅日記の『巳三月二十日、同出、深川出船。巳下尅(こく)、千住ニ揚ル。』と奥の細道の本文三月二十七日とは差異があり、理由については諸説があるようです。体で歩いて奥の細道を読むものにとっては、このような齟齬は瑣末な事に思えます。
更に、深川の筋交い・深川七福神を定点として、深川を巡れば多くの時代小説の物語が浮かんできます。それは『奥の細道』の生まれた町の物語です。芭蕉の物語に膨らみを持たせてくれるこれらの時代小説も合わせて楽しんで見たいと思うのです。それは藤沢周平の多くの作品であり、”居眠り・磐音”であり、”鬼の平蔵”であります。これらを編みこみながら、奥の細道を生み出した深川の生活に触れて見たいと思っています。
深川の項
2008.3.2〜3