芭蕉が城下を訪れた元禄二年は松平直矩(なおのり)15万石の時代です。城下からは石垣と、阿武隈川から引き水されたもっと大きな掘で護られた大きな城が望まれたと思います。現在の城は、戊辰戦争で消失した城の一部・三重櫓を新しく再建したものです。旗宿から陸奥に入って初めての城下町、白河に入り中町に立ち寄ります。白河藩士の俳人・可伝(かうん)との邂逅がなかった事が(須賀川でその存在を知ったとも言われているようですが、それなら何故可伝は7泊もした芭蕉を須賀川に訪ねなかったのでしょうか)、憧れの歌枕のこの地での滞在が一日で終わった理由かもしれません。因みに、松平直矩(なおのり)は『大和守日記』の著者であり、自らも諸芸に堪能であったそうです。 2008.4.7
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元禄二年(1689年) 芭蕉・曽良白河滞在表
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旧暦
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新暦
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場所
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4月20日
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6月7日
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朝8時に那須湯本を出立。芦野の遊行柳を見、境の明神から白河の関に出る。旗宿に泊まる。 |
4月21日 |
6月8日 |
白河の古関を探す。関山・満願寺に登り参拝、後、白河城下の中町・左五左衛門に立ち寄る。矢吹に泊まる。 |
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この芳聯寺の句碑は平成になって新しく建てられたものです。芭蕉も訪れていませんし、曽良の日記の記載もありません。多分この寺はかなりあたらしいのかもしれません。 |
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寺の前は白河からの奥州街道が通っています。阿武隈川を渡った、芭蕉や曽良も寺の前の奥州道中を通って女石に出ていると思われます。 |
関守の宿を 水鶏(くいな)に とはふもの(問おう)
この句は俳聖松尾芭蕉が、元禄二年(1689)奥の細道の旅のおり、須賀川の相楽等躬のもとに滞在中、白河藩の俳人・何伝(かうん)あての書簡に、『白河の風雅聞もらしたり、いと残おおかりければ、須賀か川の旅店より申しつかはし侍る』という言葉を添えて贈った句であります。何伝(かうん)を関守に見たて、白河での面会できなかった心残りをこめた挨拶の句と解されています。この芭蕉の書簡は、出光美術館に所蔵されており、句碑の文字は芭蕉の真蹟であります。平成五年1993年11月28日青雲社 *写真句碑の説明より抜粋
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聯芳寺(れんほうじ)住所::白河市向寺98 寺には4号線から入るほうが分かりやすいと思います。東北道白河インターを出たら福島方面に向かい新幹線の下をくぐります。暫く進むと左に会津街道、その先に女石の交差点、右に入って切通しを白河市街に向かいます。坂を下って阿武隈川に出る手前の右側です。ありがたいことに寺には駐車場があります。JR白河駅からは歩いて20分程でしょう、白河城から回るとよいでしょう。句碑は関の公園・白河神社入り口左にあるものと同じく青雲社の名があります。
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中町
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芭蕉と曽良は、 関山へ登った後に白河城下の中心街、中町・左五左衛門に立ち寄っています。この後、芭蕉はこの道を前方へ小峰城を左に見ながら進み左折、阿武隈川を渡って女石に出ます。 |
中町の裏通りです。あっちこっちに城下町特有の喰い違い(クランク状の道)が残っています。写真右側に市役所があります。
この先の食い違いから20メートル程進んだ左側に昔から町の人々が食べているラーメン屋さんがあります。
のんびりした白河でも知恵者が居るらしくラーメンで町おこしをやっています。地図などがあるようですが、私の知り合いの東京からの移住者の間では、この旧市街の”白十字”を好む者が多いようです。白河ラーメンと称するものは一つのラーメン店に源流があり、タレはかいますが個人的に幅広のちじれめんがぬちゃっとしているのが口に合いません。白十字はその系列には属していませんが、タレは白河風で麺がしゃっきとして口当たりに違和感がないので東京のラーメン好きの人(新旧・各地のあらゆるラーメンがひしめいていますから)が好むのだと思います。もちろん食べ物はそれぞれ好みが違いますから、口に合わない場合があるかもしれません。
もう一つ友達の移住者達が好むラーメン店に、境の明神に向かう294号・旧奥州街道・白坂の”朝日食堂”があります。こちらは白河風の縮れ麺ですが地元の固定客で昼時は一杯です。私もここの麺はぬちゃっとした感じが少ないと思います。
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ここは奥州街道が通る中町の中心部、かっては商業の中心地として大変賑わった地域です、どこの商店街も同じですが今は人通りがありません。旧市街地で、少し前までは石造りの蔵などが多く残った美しい街でした。薄っぺらな観光資源ではないので建て替えられるのは止むを得ませんが惜しまれます。上の写真の通り(旧奥州街道)の左側は大きな醸造業を行っていたお店で、沢山の美しい蔵が立ち並んでいたと思いますが今は駐車場になっているようです。
ちなみに通り右(白い建物)の”野村屋”のキャンデーは白河の名物です(¥70〜¥120位だと思いました)。割り箸についたキャンデーは懐かしい味です。特にアズキはお勧めです。裏通りに入ると今でも沢山の食い違いが(枡形)残っており、クランクの道路でハンドルを何度も切らなくてはなりません。城下町だった事を身をもって知らされます。
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