出羽の細道・①羽黒山
warazi
 
奥の細道①・本文三日~五日
奥の細道②・本文 八日~
奥の細道・出羽の細道

国宝・五重の塔のあたりの一の坂を登りきると長くて急な二の坂があります。両側は杉の大木が並んでいます。幾つかは当時の芭蕉が見上げたものかもしれないと思いました。夕暮れが足下にせまるので419メートルの羽黒山頂上まで登る事は叶いません。三の坂のとっかりに芭蕉句碑がありました。南谷別院跡へは薄暗くなってどう辿ったらよいかが分かりません。『有難や雪をかほらす南谷』と呟いてから、胸一杯辺りの空気を吸い込んで長い石段を下りました。会津若松市東山温泉・羽黒山神社初詣

出羽の芭蕉・元禄二年(1689年) 
旧暦
新暦
場         所
6月3日 7月19日 新庄から最上川を下り清川に出る。そこより陸路羽黒山・南谷別院

6月4日

7月20日 本坊で俳諧興行(句会)(有難や雪を雪をかほらす南谷)
6月5日 7月21日 羽黒山(419メートル)頂上にあった羽黒権現に参拝

6月6日

7月22日 月山に登り頂上の角兵衛小屋に泊る
6月7日 7月23日 月山より湯殿山を尋ねる。再び月山に戻り羽黒山に来着、かなり疲労する
6月8日 7月24日 和交院・会覚が来訪
6月9日 7月25日 和交院・会覚が来訪、句会
6月10日 7月26日 羽黒山を発ち鶴岡に向かう
6日の月山頂上小屋をを除いて、6月3日~9日の間、羽黒山・南谷別院に宿泊する
国宝五重の塔
羽黒山神社に入るとすぐすぐに左に見えます。いかにも年月にさらされた感じで全てがすっかり枯れているように見えます。1000年以上の時を経ていると言う伝承があるようですが、それはそれとして最上義光が修造したと見えるのは信憑性が高い気がします。参詣人が見えるのが正面のようです、私は静かな一の坂からしみじみと見上げました。

幾つもの騒乱をこの塔に生命があれば語ってくれる事でしょう。そして芭蕉と曽良もこの塔を見たに違いありません。奥の細道にも曽良の旅日記にも記録はありませんが、出羽三山滞在中の宿・南谷別院はここから石段を登るだけです。

芭蕉塚(三日月塚)

本文②の『涼しさやほの三日月の羽黒山』発句の場所と記されています。薄闇の中に幾つかの石塔が建っていてどれがどれだか判別が出来ません。写真で残しておいて判別しようとしましたが、いま一つはっきりしませんでした。

芭蕉の滞在した南谷別院後は更に階段を登った所だったようです。

多分これが『涼しさやほの三か月の羽黒山』発句の場所を記す芭蕉塚(三日月塚)だと思いますがはっきりしません。古そうで御賽銭が沢山上がっています。右に小さな石灯篭があるのはこの石碑だけでした。そうでないとしたらこの内のどれかだと思います。

ここに南谷別院は更に上だと云う案内でもあれば必死に登ったのですが、薄闇の中でそれを探すのは無理だと思ってしまいました。探し求めた場所はあと一歩のところでした。

既に夕暮れがせまってきています。大慌てで長い石段を登ります。五重の塔を見る人ばかりで上へ登ってくる人はいません。静寂は私の望むところです、息を切らし汗を滴らせながら一の坂、二の坂を超へ三の坂のとば口までたどり着きます。

夕闇にせかされていたせいか塚の奥の右手の森が芭蕉が南谷と書いた辺りかと思ってしまいました。一見したところ、うす暗くなった辺りは草木が覆っているように見えるのです。時間があれば探してみるところでしたが夕闇はもうすぐです。入口の石碑を見て、奥をうかがって坂を下ります。

どうも南谷別院の跡は更に上に有った事が帰宅後に分かりました。何しろ昨晩の夜6時に町を出て、今朝の5時から鳥海山を登ってからここまでやってきたのです。二の坂の登りはかなりきつく感じました。更に夕闇がせまるし、体は汗びっしょりです。後一歩で目的地を尋ねる事が出来ませんでした。旅の最後で思わないミスをしてしまい至極残念です。

芭蕉のたどった道を微に入り細に入り知りたいのですが、如何にも出羽は遠いところです。芭蕉が急流の最上川を下った心細さを共有したと思っていました。芭蕉が足跡を残した大石田・清川などの町は藤沢周平の物語にも度々登場する景色、どのような町なのかゆっくりと尋ねてみたいとその日の来る事を夢見ているのです。前回の月山と同じく今回も上っ面をなぜる事しか叶いませんでした。薄暗がりの静寂だけが芭蕉との一体感を感じさせてくれた僥倖です。今回は南谷別院跡を尋ねる事が叶わなかった極めて心残りの旅でした。2010.07.26

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出羽の細道③羽黒山

08/20/2018
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