1689年新暦6月3日、黒羽での長い滞在を終えて芭蕉は那須へと向かいます。当地の有力者・高久覚左衛門宅ではたった二夜の滞在ですが、高久家の芭蕉に対する心も持ちが『杜鵑の墓』にもみられるように大変深かったことが分かります。
芭蕉の人柄に対してなのか、江戸の俳諧・文化に対してなのか、そしてその両方なのか。高久覚左衛門との係りをあれこれ想像すると、須賀川の相楽等窮が思い浮かびます。芭蕉来訪を記念した『杜鵑の墓』が建てられたのが、それから70年以上経った1754年、高久覚左衛門の孫にあたる人が建てたそうです。
この地の人々のあけぴろげな芭蕉への敬意が感じられて、訪れた私には心地よい印象が心に残りました。芭蕉の跡を辿ることでこのような物語に出会えることは、100の古歌の知識を学ぶよりも何倍もの喜びが得られます。私の『そばの奥の細道』を辿る旅とはこのような発見が大きな目的の一つでもあります。
新暦の6月7日、那須湯本温泉を出立、芭蕉が訪門を心待ちにしていた西行ゆかりの遊行柳の前に立ちます。芭蕉を迎えたのは何代目かの田の畦にたつ柳です。那須の細道の項2008.3.2〜3