芭蕉と曽良が、須賀川からの出立が迫る4月28日(新暦6月15日)参拝した十念寺と諏訪明神(神炊館神社)を訪ねました。共に静かで、そして俗との境がない入りやすさを持ったすばらしい場所でした。私も芭蕉と同じく頭をたれて祈りを捧げました。 私は大そうな神社仏閣より、町の俗の中に接してある柔らかな精神世界をより好みます。より心の落ち着きを感じます。後光の差すありがたい仏像も霊的な大きな建築物もありません、安穏は頭を垂れてただ自らの心の中から取り出す以外ないのです。私は立ち去るときの充足した気持ちを芭蕉の跡を辿りながら積みかねてみたいと思っています。人が訪れる事も少ない二つの精神世界のあり場所では、芭蕉との心の交流も手にした奥の細道一冊があれば十分堪能できるのです。共に芭蕉の句碑が見られます。2008.5.28
私は大そうな神社仏閣より、町の俗の中に接してある柔らかな精神世界をより好みます。より心の落ち着きを感じます。後光の差すありがたい仏像も霊的な大きな建築物もありません、安穏は頭を垂れてただ自らの心の中から取り出す以外ないのです。私は立ち去るときの充足した気持ちを芭蕉の跡を辿りながら積みかねてみたいと思っています。人が訪れる事も少ない二つの精神世界のあり場所では、芭蕉との心の交流も手にした奥の細道一冊があれば十分堪能できるのです。共に芭蕉の句碑が見られます。2008.5.28
長松院を更に東に向かうと神炊館神社(諏訪明神とも称される)が見えてきます。雨に洗われた緑に溢れた清冽な神域です。
下に拡大した説明看板に書かれた三基の元禄時代の古い灯篭は、石碑左側に2基だけ見えているものです。句碑拡大PDF。
この鳥居は上杉景勝寄贈のものだそうです。とすれば会津の太守であった西暦1600年以前のものになると思います。芭蕉も曽良もきっと見上げた事でしょう。物言わぬ歴史の証人です。崩れかける灯篭は金属の輪で幾重にも補強されていました。
芭蕉・曽良須賀川滞在表
「二十八日発足ノ筈定ル。矢内彦三郎来而(きたりて)延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行而(ゆきて)及暮(くれにおよぶ)。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇」
安政二年(1955年)須賀川の女流俳人・市原多代女によって立てられた芭蕉の句碑。背丈より高い自然石に彫られた趣のある句碑です。右⇒は歌碑の裏ですが、凹凸が激しい自然石の為に安政二年の文字以外判然としません。
”風流のはじめや 奥の田植え唄”
会津根の細道C神炊館神社と十念寺