日光の細道曽良旅日記日光・那須章
裏見の滝

しばらくは
 滝にこもるや
  げのはじめ

写真:裏見の滝を上から見る

元禄二年(1689年)         芭蕉・曽良日光滞在表(井本農一著『奥の細道を歩く』を参考にする)
旧暦
新暦
行程と訪れた場所
4月1日
5月19日
鹿沼より日光着。東照宮・二荒山神社を見学・参拝する。仏五左衛門方に宿泊。
4月2日
5月20日
仏五左衛門宅に荷物を預け、裏見の滝・満(含満)ケ淵を訪れる。宿で昼食後、近道を教えられて瀬尾・川室を経て大渡りで日光北街道に出て鬼怒川を渡る。船生を経て玉入宿に泊る
4月3日
5月21日
玉入から山道を超えて矢板に向かう。箒川を越えて黒羽に向かう。この行程が奥の細道『那須』の段の場所と推察される。

奥の細道本文では3月30日芭蕉は仏五左衛門方に泊ったとあります。元禄二年(1689)3月は小の月で30日はなかったのだそうです。やはり此処にも芭蕉の文章上の創作が施されているようです(講談社・久富哲雄著『おくの細道』参照)。

意図して創作された本文こそが芭蕉の表現したかった事ですから、事実がどうかなどは読む楽しみにとって全く瑣末な事ですが、曽良の『旅日記』の4月1日・日光着が実際の行動であったようです。奥の細道は芭蕉が歌枕の地を訪ねて古の歌人達との心の通い合いをする旅であるなら、私は芭蕉が訪れた地を出来る限り同じ道をたどりながら芭蕉との心の交流を繰り返したいと思っているので、行程はその点で無視できないのです。今では消えかかった僅かな足跡を探す事は故事来歴を知るより、心躍る楽しさなのです。旧会津西街道の杉並木を見上げる芭蕉と曽良の後姿が目に浮かびます。

本文と異なりますが上の表はそれに基づいています。2010.6.7

 

E出羽の細道

羽黒山南谷別院に滞在、月山から湯殿山を往復する。

D会津根の細道

須賀川市(詳しくは矢吹町)から郡山まで。須賀川には道中で最も長い7泊8日を過ごします。須賀川の軒の栗の文章が特に知られています。須賀川をたって乙字が滝・田村神社を経て郡山の道は曽良の旅日記に残るだけです。

芭蕉が憧れた陸奥への第一歩、白河市では旗宿に僅か一泊したのみです。古の歌人達を思いながら、境の明神から奥州へと足を踏み入れた感動が伝わります。

高久で2泊したのち、那須湯本温泉、殺生石を経て憧れの地の一つ遊行柳へと向かいます。

日光に一泊の後鬼怒川を超えて玉入宿に泊る。玉入から山道の続く日光北街道を矢板を経て黒羽に向かう。

大川と小名木川の合流点・万年橋の近くにあった三代にわたる芭蕉庵。深川は芭蕉の地です。深川七福神を巡り、藤沢周平の多くの物語や居眠り磐音の地を探しながら芭蕉の跡を訪れてみました。

田村神社十念寺相良等窮かげ沼乙字ケ滝

関の城下町追分の明神白河の関境の明神遊行柳殺生石二宿の地

hatuisi 日光山 裏見の滝

霊願寺

10/13/2022

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