奥の細道本文では3月30日芭蕉は仏五左衛門方に泊ったとあります。元禄二年(1689)3月は小の月で30日はなかったのだそうです。やはり此処にも芭蕉の文章上の創作が施されているようです(*講談社・久富哲雄著『おくの細道』参照)。
意図して創作された本文こそが芭蕉の表現したかった事ですから、事実がどうかなどは読む楽しみにとって全く瑣末な事ですが、曽良の『旅日記』の4月1日・日光着が実際の行動であったようです。奥の細道は芭蕉が歌枕の地を訪ねて古の歌人達との心の通い合いをする旅であるなら、私は芭蕉が訪れた地を出来る限り同じ道をたどりながら芭蕉との心の交流を繰り返したいと思っているので、行程はその点で無視できないのです。今では消えかかった僅かな足跡を探す事は故事来歴を知るより、心躍る楽しさなのです。旧会津西街道の杉並木を見上げる芭蕉と曽良の後姿が目に浮かびます。
本文と異なりますが上の表はそれに基づいています。
2010.6.7